妹の入院の保証人になるべく、妹の住む街へ。

妹のところにも子供が生まれるのである。
なんと妻の出産予定日の3日後が妹の予定日なのだそうだ。
いとこが同い年というのはなんとなく楽しそうだ。

妹が結婚してから2人で会うという機会がめっきり減ったので2人で話すのが新鮮だった。
というか妹と2人きりで過ごしたとこなんて、ほとんどなかった。
仲は悪くはないと思うのだが、2人で飯を食べた記憶もない。
妹の近況を聞きながら、何年か前の正月に2人でスコセッシが撮ったローリング・ストーンズの映画を観に行ったことを思い出した。その時は、2人して途中で眠ってしまった。

妹夫婦は生まれてくる子供のために抱っこ紐やらベビーカー、チャイルドシート、ベビーベッドなどを揃えているそうだ。うちはまだなにも買っていない。
しかし、ひとつひとつ買った商品の説明をきくうちに、ベビー用品にはガジェット的な面白さがあることを知る。
やたら高性能なベビーカー、多機能抱っこ紐、子供が大きくなると椅子に変形するベビーベッド……。俄然興味がでてくる。
しかし、妹夫婦とは世帯年収が倍近く違うので、我々にはとても手が届かないのであった。

出産を控え、妻が実家に帰る。

毎日妻のお腹に手をあてて娘の胎動を感じていたので、触れられなくなるのが寂しい。
なにをするでもなく、動き出すのをじっとまつあの時間はとてもいい感じだった。
妊娠が分かった時は喜びよりも恐ろしさが勝っていたように思うが、胎動を感じてからは可愛くて仕方がない。

妻の実家で晩飯をご馳走になる。テレビではパンパシフィック水泳の中継が流れている。
義父母は水泳にそこそこ詳しい。どんな選手かなんとなく把握している。大きい大会は観るのだそうだ。
その後、女子ソフトボールの世界大会にチャンネルが切り替わる。日本とアメリカが決勝戦を戦っている。
延長線で点を取りある接戦で、思わず引き込まれた。日本もアメリカも、ピッチャーの気迫がすごい。
スポーツ観戦など年に何度もしないので新鮮だった。
とはいえ、今年はなんの因果かワールドカップも3回ほどスポーツバーで観ているのだった。
オリンピックに向けて日本人のスポーツ熱が無意識に高まっているのかもしれない。だとしたら怖い。

帰り道、妻に駅まで送ってもらう。不思議な感じだ。
今日からしばらく一人暮らしだな、と思いながら、今までルームシェアばかりだったので人生はじめての一人暮らしだと気がつく。

仕事で使う資料として『紙ヒコーキで知る飛行の原理―身近に学ぶ航空力学』を読んでいる。

中高生くらい向けられた平易な文章で書かれているので、物理学を習ったことがない俺でも理解できて面白い。
そしておそらく宮崎駿アニメの影響なのだけど、昔の飛行機のデザインに惹かれて仕方がない。模型が欲しくなってくる。

本の中では航空史として飛行機の発展と戦争がからめて語られる。
史上初のドーバー海峡の横断飛行からわずか5年後の第一次世界大戦で戦闘機が使われたこと。飛行機が多く余ったことから黄金時代が訪れたこと。やはり宮崎駿や『風立ちぬ』を思い出した。

ラクーアの休憩室で読む。
ここは読書も仕事も捗りそうだ。
今度は丸一日いようと決めた。

『七人のイヴ Ⅰ』を読んでいる。

突然、月が突然7つに分裂する。
2年後にその欠片が降り注ぎ、地球は生命の住むことのできない火の海になることが判明する。
人類は種の保存をかけて宇宙ステーションへの移住計画をスタートするが、もちろん2年で全人類が移住できるはずもなく……というところから始まるSF小説。
実際にある技術しか使わない、とかエイリアンをださないとか、センス・オブ・ワンダーではなくリアリティに振り切ることを著者が自らに課している。
そのためカタストロフが起きて地球から逃げる、というSFでは珍しくない設定に生々しいリアリティがある。

天才科学者やキャラの濃い宇宙飛行士など登場人物も魅力的だし、淡々と描写されるカタストロフは怖いものみたさの好奇心を刺激するが、なにより本から離れて現実の地球の死を想う瞬間が面白い。
自分のこととか、これから生まれてくる娘のこととか、家族や友人のことを考える。自分が死ぬこと、周りの人が死んでいくことを考える。そして地球の滅亡を考える。
あらゆるものが隕石の爆風の中に消えたとして、あとになにも残らなかったら、そのすべて無駄だったということなのだろうか。
小説の中の人々はひとまず、人類を存続させること、「地球」でのあらゆることを遺そうと躍起になっている。
自分ならどんな風に生きるだろうと、読みながら繰り返し繰り返し考えている。

地球が終わる、ということは絵空事でなくありえる。

ホホホ座へ行くことにする。

福井の帰りにMさんと2人で京都に寄って帰ることになったのだ。
本当は恵文社や誠光社に寄りたかったのだが、時間の都合で今回は見送り。
ホホホ座はガケ書房がリニューアルしたお店だ。
書店開業計画のきっかけとなった『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で花田菜々子さんが憧れの書店としてガケ書房を挙げていたので、計画スタートの験担ぎみたいな気持ちもある。

酷暑の夏の京都は蒸し風呂のようだった。
ひとまずMさんイチオシの新福菜館へ。店の前で昔来たことがあることに気がつく。
妻と来たんだったか、一人旅をした時か。
ラーメンと焼き飯を食べ、京都タワーの大浴場でサッとひとっ風呂浴びていざホホホ座へ。

ガケ書房は数年前に行ったことがあったのだけど、ホホホ座ははじめて。
「本の多いお土産屋」と銘打つだけあって、雑貨がが増えた気もするが、やはり本のラインナップも楽しい。
『リンカーンとさまよえる霊魂たち』が置いてあって心が動かされるも、旅の始まり頃に『未必のマクベス』を買ってしまっていたので見送り。
本当はこちらを買って旅のうちに読みたかった。
『ゆうとぴあグラス』という複数作家が参加している漫画の同人誌を買う。
森田るいのイラストがついてきて嬉しい。
のんびりした雰囲気で、サイズもちょうどいい。2階にはギャラリーもあるようだ。
自分たちの本屋もこのくらいの規模でやれたらいうことないなあ、と思う。
ネットでウェブサイトを調べたら本を企画したり、編集したりもするし、画家や写真家のマネージメントもしているらしい。
ますますやりたいことが近いく、憧れる。

それからMさん希望のVOUへ。
めちゃめちゃ好みのヘンテコでキュートなキャップと目があって、ちょっと高かったが買うことにした。

本当は京都にしばらく滞在し、以下のような生活を送りたい、というようなことを言いながら帰る。

朝から珈琲をのみ、昨日買った本をパラパラめくる → 昼頃に書店を散策、気になる本を何冊か購入 → 違う喫茶店へ、買った本をパラパラめくる → 鴨川あたりを散歩、喫茶店か本屋へ。

もういっそ京都に住みたい、という言葉を前にMさんに言われた「京都に住んだら京都に旅行に行けなくなる」という言葉で押し込む。
それなら月に一度くらいは訪れたいものだ、というようなことを考えるうちに、東京を観光するように暮らせないか、と思い至る。
それでとりあえず、東京に帰ってからも書店訪問記をつけてみようと思った。

温見峠という山道をMさんと2人レンタカーで走る。

山の中腹にあるキャンプ場に向かう。
時刻は夜10時をまわったところで、とにかく道が怖い。
切り立った崖に沿って走っていくのだが、本来ガードレールのあるべき場所に縁石しかない。
落ちたら確実に死が待っている。
あまりの恐怖に、Mさんのお喋りに反応できない。
死んだらこれから生まれてくる娘に会えないのが悲しい。
そしてきっと妻が悲しむ。ということを繰り返し考える。
調べるとやはり、何年かに一度事故がおきている道らしい。

用事を済ませ、夜半頃山の麓にある旅館に戻る。
帰りの運転を任されるも、命が惜しくて40キロくらいしかスピードが出せない。
カーナビの指示に従いながらのろのろと走る。
と、突然Mさんが「こんな橋渡ってない」と言う。
確かに渡ったら忘れそうにない大きい橋だ。
そして街灯もないその橋は真っ暗な山奥へとつながっていた。
しかし、カーナビはその先に進めと指示を出し続けている。
橋の脇に車を停め、iPhoneで調べようとするも電波が届かない。
仕方なくカーナビを再起動すると、今度は橋を通らないルートが示される。
「もうすこしだったのに」という類の怪談を思い出す。
それでも慌てずゆっくりと山道を下る。

福井へ向かう道中、東京駅で『未必のマクベス』を買って読み始める。

電車や新幹線の長距離移動が好きだ。飛行機も嫌いじゃない。
じっくりと本が読めるのが嬉しい。
旅行の楽しみの半分くらいはこれだ、という気すらする。

福井へは友人らと仕事と趣味半々、くらいの用事でいく。
のんびりした旅だ。
隣座ったEさんが新幹線でビールを頼んだので、つられて頼む。
小さく乾杯をして飲む。やたらとフルーティな金沢の地ビール。美味い。
それからEさんはNetflixへ、こちらは本に戻る。幸せだなあと思う。

内容をよく知らないまま買ったのだけれど『未必のマクベス』はサラリーマン小説だった。
飛行機のトラブルで偶然訪れたマカオで、娼婦に「あなたは、王として旅を続けなくてはならない」と告げられるという冒頭から『マクベス』になぞらえて話が展開していく、という魅力的な滑り出し。
アジアの雰囲気と呪術めいた演出に胸を踊らせながら読みすすめるが、しばらくは大きく物語が進まない。

しかしあるとき、唐突にこの物語の目的が明かされる。
その手つきが素晴らしく一気に引き込まれる。

と、いいところで福井駅に着く。
福井は敬愛する舞城王太郎の出身地で多くの作品で舞台にもなっているが、聖地巡礼をする時間はなさそうなのが残念だ。

本屋を作ろうと思っている。

今年の春に友人が『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』という本を読んでそんなことを言い出した時、自分もずっとそう思っていたことに気がついた。

一番好きな場所は本屋だ。
いるだけで心が前向きになるし、ワクワクしてくる。
背表紙を眺めていると色々なアイディアが浮かぶ。

読まれる前の本たちの可能性がひしめいている大きい本屋も、店主の選りすぐりの本が並ぶ小さい本屋も、生活に根ざした町の本屋も好きだ。棚に入り切らなかった本が高く積み上がっている年季の入った古本屋も、小綺麗で良書ばかりをセレクトして買い取る古本屋も、ブックオフも好きだ。

精神衛生のために1日に一度は本屋に行くようにしているし、暇な休日は本屋巡りもする。
(最近はそんな時間なかなかないけれど)

妻と知り合ったのも昔働いていた本屋だ。
東池袋にあったリブロという本屋で、今は薬局になってしまった。

普通は本の日焼けを気にしそうなものだが、あの店なぜかガラス張りで、そのため外からでも本棚がみえた。
だから越してきたばかりの頃、近所を散策していると、遠くからでも本屋であることがわかった。
喫茶店も併設されていて、なんだか洒落てみえた。この店で働きたいと思ったことを覚えている。

とはいえ実態は町の本屋、という感じだった。リブロといったら90年代には人文、アートブック方面で有名だったそうだけど東池袋店は基本的には取次から送られてきた本を並べるだけだった。

それでも、あの店が好きだった。