去年の夏の終わりに娘が産まれて生活が一変した。

本を読む時間が減り、文章を書く時間はほとんどなくなった。
頭の中に読みたい本、書きたい文章、観たい映画……が積み重なっていく。
それでも今、幸せだなと思う。
娘が可愛い。
同時にいくばくかの焦燥感がある。
子供を育てた先輩たちが口々に「子供ができたら自分の時間がなくなる」という。
俺はその話を聞きながら、なんとなく自分はそうはならないんじゃないかと思っていた。
いや、「俺は子供を育てながらも本を読み、映画を観て、ものを考え文章を書くだろう」と確信を持っていた。
しかし、ぜんぜんそんなことはなかったのだった。
未来の自分にたいする希望はだいたいあてにならない。
それで、過去の自分がどう思っていたかなんてことはいつの間にか忘れられていくのだ。
娘と一緒にいる幸福も、決して忘れないだろうと思うようなことだからきっと忘れていくのだろう。
本屋がある世界が正しいと思っている。娘に本屋の側で過ごして欲しいと思っている。
そんな本屋を作ろう、という気持ちも、いつの間にかなくなっていくのかもしれない。
ただ、少なくとも今はそう思っているんだ、ということを書いておきたい。
書いていきたい。

例えこの文章を最後にブログが更新されなくなったとしても、少なくとも今はそう思っている。

両親と守谷で『ペンギン・ハイウェイ』を観たあとで、妻の実家の柳瀬川へ向かう。

両親と映画館に行くなんて久しぶりだ。スターウォーズエピソード2以来だろうか。
母親とは『ぐるりのこと。』を観に行ったことがあったな。
映画は素晴らしかった。
夏の町、草原に吹く風、ひるがえる布、駆け回る子どもたちと変形するペンギンたちがアニメーションの魔法によって生き生きと描かれている。
そして、それらがすべて1人の少年の成長を描くことに奉仕している。
子供が小学校にあがるくらいにはみせたいなあ、と思っていたら、両親が口々に難しかった、と言ってた。

守谷駅からつくばエクスプレスに乗って、南流山駅で武蔵野線に乗り換える。
南流山駅にはブックエキスプレスがあるので乗り換えの待ち時間を過ごす。
昔よく乗り換えで使った駅だたが、その頃はなかった気がする。
『ペンギン・ハイウェイ』を観たあとなので、宇宙とか時間とかの本に目が行く。
『宇宙の「果て」になにがあるのか 最新天文学が描く、時間と空間の終わり』が気になる。
ブルーバックスは門外漢にも分かりやすく書いてくれていることが多いので読んでみたい。

以前は『サイエンス・ブック・トラベル: 世界を見晴らす100冊』という科学系の本の書評集をよんで気になったものを読んでいた。
科学系の本は、それがどこまで信頼に足る研究なのか、どういう文脈に位置する本なのかを知ってから読みたいという気持ちが強い。
そういった意味で信頼している山本貴光さんの案内は非常に心強かった。良い企画なので3年に1度くらいは刊行してほしい。

北朝霞から朝霞台に乗り換える途中で『TSUTAYA BOOKSTORE 朝霞台店』をちらっとみる。
柳瀬川には柳瀬川書店というのがあるのだけど、そこには寄らずに妻の実家へ。
妻の部屋で妻の子供の頃の写真をみて、自分の子供の頃の写真と頭の中で掛け合わせて子供の顔を想像したり、お腹に手を当てて胎動を感じたり。
本棚にあったラフカディオ・ハーンの『怪談・奇談』を読んでいたら、まんま『雨月物語』の「浅茅が宿」と同じプロットの話が載っていた。
伝承を編纂したようなものにはこういうことがあるから面白い。あとは二次元に恋したことを僧侶に相談したら本気出せば結婚できると方法を聞きハッピーになる話も載っていた。
それから眠くなってちょっと妻のベッドで昼寝をさせてもらい、晩飯をご馳走になって帰る。
妻のお兄さんとはほとんどはじめて話した。歴史好きらしく、上映していた『せごどん』を通じて話せた。
妻の実家の食卓だたいたいいつもテレビがついているのでありがたい。

帰り道、あと一週間で予定日だね、と言って自分であと一週間かと驚く。

打ち合わせの予定が朝の3時まで深夜のジョナサンでバカ話をする。

友達のこととか、日常の発見、周りにいるやな感じのおじさんの分析(俺は予備軍らしい)とかワンピースやハンターハンターのどのキャラが一番強いのかとか、まだ回収されていない伏線のこととかを喋り散らす。

とにかく楽しい時間だった。

妹の入院の保証人になるべく、妹の住む街へ。

妹のところにも子供が生まれるのである。
なんと妻の出産予定日の3日後が妹の予定日なのだそうだ。
いとこが同い年というのはなんとなく楽しそうだ。

妹が結婚してから2人で会うという機会がめっきり減ったので2人で話すのが新鮮だった。
というか妹と2人きりで過ごしたとこなんて、ほとんどなかった。
仲は悪くはないと思うのだが、2人で飯を食べた記憶もない。
妹の近況を聞きながら、何年か前の正月に2人でスコセッシが撮ったローリング・ストーンズの映画を観に行ったことを思い出した。その時は、2人して途中で眠ってしまった。

妹夫婦は生まれてくる子供のために抱っこ紐やらベビーカー、チャイルドシート、ベビーベッドなどを揃えているそうだ。うちはまだなにも買っていない。
しかし、ひとつひとつ買った商品の説明をきくうちに、ベビー用品にはガジェット的な面白さがあることを知る。
やたら高性能なベビーカー、多機能抱っこ紐、子供が大きくなると椅子に変形するベビーベッド……。俄然興味がでてくる。
しかし、妹夫婦とは世帯年収が倍近く違うので、我々にはとても手が届かないのであった。

出産を控え、妻が実家に帰る。

毎日妻のお腹に手をあてて娘の胎動を感じていたので、触れられなくなるのが寂しい。
なにをするでもなく、動き出すのをじっとまつあの時間はとてもいい感じだった。
妊娠が分かった時は喜びよりも恐ろしさが勝っていたように思うが、胎動を感じてからは可愛くて仕方がない。

妻の実家で晩飯をご馳走になる。テレビではパンパシフィック水泳の中継が流れている。
義父母は水泳にそこそこ詳しい。どんな選手かなんとなく把握している。大きい大会は観るのだそうだ。
その後、女子ソフトボールの世界大会にチャンネルが切り替わる。日本とアメリカが決勝戦を戦っている。
延長線で点を取りある接戦で、思わず引き込まれた。日本もアメリカも、ピッチャーの気迫がすごい。
スポーツ観戦など年に何度もしないので新鮮だった。
とはいえ、今年はなんの因果かワールドカップも3回ほどスポーツバーで観ているのだった。
オリンピックに向けて日本人のスポーツ熱が無意識に高まっているのかもしれない。だとしたら怖い。

帰り道、妻に駅まで送ってもらう。不思議な感じだ。
今日からしばらく一人暮らしだな、と思いながら、今までルームシェアばかりだったので人生はじめての一人暮らしだと気がつく。

温見峠という山道をMさんと2人レンタカーで走る。

山の中腹にあるキャンプ場に向かう。
時刻は夜10時をまわったところで、とにかく道が怖い。
切り立った崖に沿って走っていくのだが、本来ガードレールのあるべき場所に縁石しかない。
落ちたら確実に死が待っている。
あまりの恐怖に、Mさんのお喋りに反応できない。
死んだらこれから生まれてくる娘に会えないのが悲しい。
そしてきっと妻が悲しむ。ということを繰り返し考える。
調べるとやはり、何年かに一度事故がおきている道らしい。

用事を済ませ、夜半頃山の麓にある旅館に戻る。
帰りの運転を任されるも、命が惜しくて40キロくらいしかスピードが出せない。
カーナビの指示に従いながらのろのろと走る。
と、突然Mさんが「こんな橋渡ってない」と言う。
確かに渡ったら忘れそうにない大きい橋だ。
そして街灯もないその橋は真っ暗な山奥へとつながっていた。
しかし、カーナビはその先に進めと指示を出し続けている。
橋の脇に車を停め、iPhoneで調べようとするも電波が届かない。
仕方なくカーナビを再起動すると、今度は橋を通らないルートが示される。
「もうすこしだったのに」という類の怪談を思い出す。
それでも慌てずゆっくりと山道を下る。