昼飯を食べながら「納屋を焼く」を読む。

『蛍・納屋を焼く・その他の短編』という短編集に入っている、村上春樹の短編だ。

一昨日観た映画、イ・チャンドンの『バーニング 劇場版』の原作なのだ。

映画がすごく良かったのだけど、原作も負けず劣らず素晴らしかった。

とはいえ、映画を観ていなかったら、その語りの巧みさ故に、ちょっとしたホラーだなあなどと思うだけで読み飛ばしていたかもしれない。

小説や漫画など、別のジャンルの作品を映像化するのは、少なからず批評的な行為だと思う。

批評的な行為、というのはその作品をどう読んだか、どういう作品だと思うのかを表明することに近いということだ。そして、優れた批評は作品の新たな見方や可能性を教えてくれる。

この作品でいうと「資本主義の中で自由に生きるには?」という今感心があるテーマについても考えられそうなモチーフが散りばめられていることが分かった。

『バーニング 劇場版』は映画としても素晴らしかったが、小説の隠された(というか、鈍感な俺には気づけない)テーマを教えてくれた。理想的な映像化で豊かな経験をできたと思った。

『早朝始発の殺風景』を読み終える。

平成のエラリークイーンこと青崎有吾の短編集。

日常における些細な違和感を考察して、違和感の正体を解明するいわゆる「日常の謎」をワンシュチュエーションでやる。
すべての作品の主人公が高校生で、視点人物が眼差す人物の知られざる一面と出会うことになる。
どの作品も完成度が高く、読後感がよい。
作者が優しいのだろうなあと思う。

どの作品も良かったが表題作と「三月四日、午後二時半の密室」 が特に好きだった。

『私に付け足されるもの』を読み終える。

長嶋有の女性主人公縛りの短編集。
素晴らしかった。

長嶋作品の魅力は、視点人物の考察にあると思う。
探偵のように、日々の些細な違和を拾い上げていく。
巧みな構成によって、その違和からぼんやりとテーマを浮き上がらせていく。

『潜行するガール』『桃子のワープ』の二編がとりわけよかった。

『濡れた太陽』を読み終える。

五反田団(劇団)の前田司郎による、高校演劇青春小説である。
上巻で2回、下巻で3回ほど泣いた。
泣くだけじゃない、声を上げて笑えるシーンも多い。

自分がなにをしたいのか、どうすればいいか分からない、つまり「ボンクラ」の男子高校生、太陽が主人公。

太陽には面白いものを作れるのではないか、という自信のようなものがある。
そして実際、どうすれば面白くなるのかが、なんとなくわかる。これを才能と呼ぶのだろう。

そんな太陽の周りに集まってくるボンクラな友人達が、次第に高校演劇にのめり込んでいく。
なんとなく楽しくやれればいいと思っていた彼らが「面白いものを作りたい」という気持ちに目覚めていく。
登場人物全員が愛おしい。

群像劇だからしようがないのだけど、スロースターターなのが本当にもったいない。
120ページあたりで太陽たちボンクラチームがなぜかレクリエーションで小芝居をやることになるのだけど、そこからどんどん面白くなっていくので、読んでみたいと思った人はそこまではなんとか読んでみて欲しい。

今、高校演劇やりたい、という気持ちでいっぱいだ。
高校生でないことが悔やまれる。

『異セカイ系』を読み終える。

懐かしいにおいのする新しいメタフィクション。
少し前に読み終えたM君が諸手を挙げて絶賛していた。
俺もかなり面白く読んだが、M君ほど気に入ったわけではない。主人公がヒロインを好きになるのがかなり類型的に描かれていて、それは作品としての効果はあげているが、恋する説得力が弱い。説得力を必要とするタイプの作品でもないが、ヒロインをらもう少し好きなってから展開したら、感想も違った気がする。

『火のないところに煙は』を読み終える。

1話を昨晩読んで怖くなる。妻も実家に帰省していていないので心細く、朝起きて一気に読んだ。
怪談を読むつもりが怪談を読むつもりがミステリーを読んだ読後感。面白く読んだが、個人的にはもう少し実話怪談に寄ったほうが怖かったかもしれない。
狂気の隣人がなにより怖かった。

『れもん、よむもん!』を読み終える。

M君とサウナ(東中野アクア)にいく道すがら貸してもらう。
M君も俺ももうすぐ読み終わるということで、すぐにはサウナに向かわず、アクアの横のコインランドリーで読み終える。

序盤の児童書のところもよかったけれど、高校で本を読む親友と出会ってからが素晴らしい。本を読むこと喜びを友達と分かち合うこと、これに勝るものはない。本が指し示す価値観、倫理観との距離が自分と友人で違うことが分かるのも、とても素晴らしい経験だった。
高校時代、俺はHという友人と本の感想についてよく話していた。今はM君とそんな話をしている。
そういう人と出逢えたのはとても幸せなことだなと思う。心から思う。

サウナの中でM君『火のないところに煙は』をがなかなか面白いというので上がってから読み始める。

Mくんとジュンク堂書店池袋本店へいく。

なんとなく科学系の本を読みたくてぶらぶらする。
科学本コーナーよりも一回の新刊ピックアップコーナーから気になる本を見つけることが多い。
科学本に関しては専門性よりも新規性、リーダビリティ、キャッチーさが欲しいからかもしれない。

Mくんは芦沢央の『火のないところに煙は』を、俺は保坂和志の『ハレルヤ』を読む。

『ハレルヤ』は驚くほど素晴らしい。開始数ページで立ち読みなのに涙腺が緩む。亡くなった猫のことが書いてあるのだけど、本当に誠実に、そして猫のことを最大限想って生きているのが伝わってくる。
実家の犬が死んだとき看取った母親が、ふーっと最後に息を吐いた、と泣きながら伝えてくれたことを何度も思い出した。
最近、死ぬことについて考える。必ずおとずれるのに、死について答えが出ていないのが不思議だ。少なくとも生きることに少しは納得したい。この本にはその答えに近づくヒントがあるような気がした。が、あまりにも動揺してなぜか買うことができない。

『火のないところに煙は』『知ってるつもり 無知の科学』『火星の人類学者』『サピエンス全史』を買う。

電車の中でM君が買った『レモン読むもん!』を読ませてもらう。

『戦時の音楽』を読んでいる。

家を出たあとに、駅前でインスタのストーリーをみていたら、ホムカミの福富さんが書影をあげていて、そういえば買って最初の2編を読んだくらいのところで止まっていたとを思い出し、急に読みたくなって家に取りに戻った。もうすっかり福富さんのファンだ。福富さんの文章や、黒木雅巳さんの漫画(「ゆうとぴあぐらす」を読んでめちゃくちゃ面白いと思った)が載っている雑誌を作りたいな、とぼんやり思う。目標にしよう。

「11月のストーリー」という1編がリアリティ・ショーのスタッフを主人公にすえているのだけど、自分がリアリティ・ショーを観る時に想像してしまう現場の裏側が書かれていた。観れば面白いと思うし、否定する気もぜんぜんないというか、ハマりたいのだけど、いまいち乗り切れない原因はこのあたりにあると思う。
小編ながら演じる、演じさせるというモチーフがうまく使われていて、ハッとする一文もありとてもよい。

打ち合わせの前にSPBSに寄る。

前にライブかなにかで目にして少し気になっていたNew Neighbors ZINEが置いてあったので、パラパラめくる。『SMOKE』という妻が好きな映画が特集されている。ポール・オースターというこれまた妻の好きな小説家が原作・脚本をつとめていて、有名だしいい映画なのだが、普通の雑誌で取り上げられることはなさそうなので、こういう作品を扱うのはいいな、と思い最初の一編を読んでみる。

Homecomingsというバンドのギタリストである福富さんが綴った短いエッセイで、ポール・オースターの『ムーンパレス』という小説を軸にオースターの作品についての記憶と、ぼんやりとした焦燥と鬱屈に包まれた福富さんの大学時代がチャーミングに描かれている。

小説のタイトルであるムーンパレスというのは作中で主人公が恋人や友人達と幸福な時期を過ごす中華料理屋なのだけど、福富さんにも愛おしい時間を過ごしたムーンパレスのような中華料理屋があったらしい。
俺にも20代の前半頃、よく通った中華料理屋があった。夜中に腹が減ると朝まで営業しているその店にいって、水餃子を食べた。当時は恋人だった妻との間でその店を恥ずかしげもなくムーンパレスと呼んでいたこととか、店員のそっけなさ、今よりずっと未来が不安だった反面、自分にはもっと色々なことができると思っていたことなんかを文章を読みながら一気に思い出してこっ恥ずかしくなる。我々がいたあの店は小洒落たムーンパレスなんて名前ではなく、餃子市というのが正式名称がある。でもやっぱりあそこはムーンパレスだよな、なんていう至極個人的な気持ちを福富さんが丁寧な言葉で書き留めておいてくれた感じ。これは俺のための文章だな、と思う。
この人が書いた文章を少しずつ集めていきたい、と久しぶりに思える経験だった。

すっかり興奮して別の号も買ってから打ち合わせに。