Mくんとジュンク堂書店池袋本店へいく。

なんとなく科学系の本を読みたくてぶらぶらする。
科学本コーナーよりも一回の新刊ピックアップコーナーから気になる本を見つけることが多い。
科学本に関しては専門性よりも新規性、リーダビリティ、キャッチーさが欲しいからかもしれない。

Mくんは芦沢央の『火のないところに煙は』を、俺は保坂和志の『ハレルヤ』を読む。

『ハレルヤ』は驚くほど素晴らしい。開始数ページで立ち読みなのに涙腺が緩む。亡くなった猫のことが書いてあるのだけど、本当に誠実に、そして猫のことを最大限想って生きているのが伝わってくる。
実家の犬が死んだとき看取った母親が、ふーっと最後に息を吐いた、と泣きながら伝えてくれたことを何度も思い出した。
最近、死ぬことについて考える。必ずおとずれるのに、死について答えが出ていないのが不思議だ。少なくとも生きることに少しは納得したい。この本にはその答えに近づくヒントがあるような気がした。が、あまりにも動揺してなぜか買うことができない。

『火のないところに煙は』『知ってるつもり 無知の科学』『火星の人類学者』『サピエンス全史』を買う。

電車の中でM君が買った『レモン読むもん!』を読ませてもらう。

くまざわ書店取手店に行く。

お盆に帰れなかったので少し遅れて実家の取手に帰ることにしたのだ。
両親が会いたがってくれている、といのもあるけれど、急に夏の茨城の空気を吸いたくなった。
茨城の夏は東京の夏とぜんぜん違う。
なんというか、東京より濃度が少しだけ濃い。

駅をでた瞬間夏の夕方気配に包まれて、これだなあと思う。
これより薄くても濃くてもだめで、例えば先日いった福井だと濃すぎて、観光という気持ちになる。
取手駅の駅前は一応ビルが立ち並んでいるのに、なにが違うのだろう、と思いながら子供の頃の夏休みの「まだ遊べる、まだ遊べる」という感覚が湧き上がってくるのを感じていた。

さて、このくまざわ書店は我が青春時代の文化の象徴だった。
ボックスヒルという取手駅直結の商業施設に組み込まれているのだけど、取手駅から常総線に乗り換えていた高校時代にはほとんど毎日通っていた。
中規模書店ながら海外文学や思想書などもしっかり取り揃えている。

小学生が神様だとかいうスピリチュアルっぽい本が売上一位とディスプレイされていてげんなりするが、新刊棚をみて回ると、やはりいい書店だなと思う。
各ジャンルの話題書がコンパクトに並んでいるのだけど、例えば『予測不可能性、あるいは計算の魔――あるいは、時の形象をめぐる瞑想』のような、自分の興味と重なる本がピンポイントで面陳されている。日本文学だと『大江健三郎全集』(セブンティーンの二部が読みたいが高い!!)や『君の話』などなど固い本から気になっているエンタメまで、海外文学も限られたスペースの中に『戦時の音楽』や『リンカーンとさまよえる霊魂たち』がしっかりと置いてある。
取手駅の周辺にこういった本を買っている人がいるからこういう棚が成り立つのもあるとは思うが、書店員や書店本部の努力もあるのだろう。
あなた達のおかげで今の自分がありますと感謝したい。どうかこういう棚作りを守って欲しい。

M君とジュンク堂書店池袋店に行く。

M君は一緒にジュンク堂に行くと必ず、生まれてくる娘や妻に本を贈ってくれる。
我々は週に1回くらいは一緒にジュンク堂に行くので、そのたびに娘の本は増える。
今日は『ちっちゃいさん』という可愛らしい絵本をもらった。
本当にありがたいし嬉しいのだけど、彼は俺から少なくない金額、借金をしている。
そんなM君から何度も贈り物をもらうと、奇妙な気分になる。
お金は返さず、プレゼントを渡すその時、彼の中でどんなロジックが成り立っているだろうか。
遠足に行くのにお小遣いをくれたお母さんに、お土産を買って帰る感じだろうか。
M君は一緒に本屋をやろうと話している相棒なので、まあ本屋に向けた貯金、くらいの気持ちで貸しているが、M君のほうも、もうすこしちゃんと貯金して欲しい。

仕事の前に竹島書店江古田店に寄る。

近所にある、よく使う書店である。
漫画の品揃えがよく、夜遅くまでやっているのでとても重宝している。
働いている人の中に漫画好きがいるのだろうな、というのがよく分かる棚だ。こじんまりとしたスペースにびっちり本が詰まっているのも素敵だ。

ほとんど毎日のように来ているので、どこにどんな本があるのかだいたい把握している。新たに面陳されている新刊をざっとみて外に出る。

Mくんと書店を開く場所についてたびたび話すのだけど、もともとある書店に迷惑をかけたくない、という意見は一致している。ただ、Mくんはすでに本屋がある町は避けたほうがよいというが、俺は品揃えが違う本屋が近くにあるのは、むしろ相乗効果を生むんじゃないかなと考えいる。例えばこの店の近所とか。妙にいい本が置いてあるブックオフも近くにあるし、本好きが集まってくるんじゃなかろうか。

江古田はいい町だ。長く住んでいるので勝手が分かるし、店を出すなら学生街がいいなあとぼんやり思っている(江古田には大学が3つもある)のでやっぱりここに店を出すのも悪くはない気がしてくる。

Mくんはもっと田舎がいいと言っている。
俺は店を出すならその町に住みたいと思っているので、そうなると田舎に住むことになる。娘はそっちのほうが過ごしやすいかもな、なんてことも考えながら仕事にむかう。今の仕事は副業が許されているので、できれば続けたいから、職場までの交通の便も考慮したい。というようなことまで考えながら、そもそも開業資金もぜんぜん溜まっていないのに、毎日物件を探している。これが案外楽しい。

ホホホ座へ行くことにする。

福井の帰りにMさんと2人で京都に寄って帰ることになったのだ。
本当は恵文社や誠光社に寄りたかったのだが、時間の都合で今回は見送り。
ホホホ座はガケ書房がリニューアルしたお店だ。
書店開業計画のきっかけとなった『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で花田菜々子さんが憧れの書店としてガケ書房を挙げていたので、計画スタートの験担ぎみたいな気持ちもある。

酷暑の夏の京都は蒸し風呂のようだった。
ひとまずMさんイチオシの新福菜館へ。店の前で昔来たことがあることに気がつく。
妻と来たんだったか、一人旅をした時か。
ラーメンと焼き飯を食べ、京都タワーの大浴場でサッとひとっ風呂浴びていざホホホ座へ。

ガケ書房は数年前に行ったことがあったのだけど、ホホホ座ははじめて。
「本の多いお土産屋」と銘打つだけあって、雑貨がが増えた気もするが、やはり本のラインナップも楽しい。
『リンカーンとさまよえる霊魂たち』が置いてあって心が動かされるも、旅の始まり頃に『未必のマクベス』を買ってしまっていたので見送り。
本当はこちらを買って旅のうちに読みたかった。
『ゆうとぴあグラス』という複数作家が参加している漫画の同人誌を買う。
森田るいのイラストがついてきて嬉しい。
のんびりした雰囲気で、サイズもちょうどいい。2階にはギャラリーもあるようだ。
自分たちの本屋もこのくらいの規模でやれたらいうことないなあ、と思う。
ネットでウェブサイトを調べたら本を企画したり、編集したりもするし、画家や写真家のマネージメントもしているらしい。
ますますやりたいことが近いく、憧れる。

それからMさん希望のVOUへ。
めちゃめちゃ好みのヘンテコでキュートなキャップと目があって、ちょっと高かったが買うことにした。

本当は京都にしばらく滞在し、以下のような生活を送りたい、というようなことを言いながら帰る。

朝から珈琲をのみ、昨日買った本をパラパラめくる → 昼頃に書店を散策、気になる本を何冊か購入 → 違う喫茶店へ、買った本をパラパラめくる → 鴨川あたりを散歩、喫茶店か本屋へ。

もういっそ京都に住みたい、という言葉を前にMさんに言われた「京都に住んだら京都に旅行に行けなくなる」という言葉で押し込む。
それなら月に一度くらいは訪れたいものだ、というようなことを考えるうちに、東京を観光するように暮らせないか、と思い至る。
それでとりあえず、東京に帰ってからも書店訪問記をつけてみようと思った。