Uは今日、1日泣きべそをかいていたそうです。

あんまりグズらない日もあるそうなので、なぜ泣いていたのかは謎です。
天気が関係しているのかもしれません。

あるいは、奥さんと喧嘩したせいかもしれません。
俺たちはあんまり喧嘩しないのだけど、今日は引越しのことで少し喧嘩しました。
あまりUに喧嘩をみせないで済むといいなと思っているのですが。

そう、じつは引越しをするのです!
Uが生まれて今まで過ごしていた2DKが手狭になってきたので、1LDKに引っ越します。

一部屋減り、より狭くなるように思えるかもしれませんが、ご安心ください。部屋が大きいので(少しだけ)家が広くなる予定です。とくにリビングが広くなるのでUが移動しても安心です。ハイハイで動き回れるよう、コルクのプレイマットを敷く予定です。プレイマットってわかりますか。タイル状の絨毯みたいなものです。

Uはまだハイハイはしないのですが、背中をブリッジするみたいにくの字に曲げて、尺取り虫の要領で移動します。とても奇妙な移動方法です。「背ばい」というらしく、とくに異常行動ではないらしいのですが、しかし眺めていると変な感じです。

寝転がっていると、その背ばいで近づいてきて、俺の頬や顎を鷲掴みにします。爪が鋭く、思いのほか痛いです。

それから、自分の足を掴んで足の指をしゃぶったりもしています。身体やわらかいなあと感心します。

最近は離乳食も始めました。バナナミルクが大好きで、お粥はそこそこ、すりおろした人参はあげてみたけれど、嫌がったそうです。

突然だが、祖父母と、それから両親に向けた娘の記録を書いていきたいと思う。

このブログを読んでいる人など、ほとんどいないはずなので、誰に宣言するわけでもないのだが、一応宣言しておく。
なんだか宣言ばかりしている気がするけれど、そういう性分なので仕方がない。熱しやすく冷めやすい。

そもそも、娘の記録を書きたいと思っていたのだ。
産まれてから5ヶ月、様々な感動があった。
写真も動画も撮ってあるのだが、こういうのは言葉で残したいなあと思っていた。
だいたい、写真や動画を構えるのは感動が過ぎ去ったあとで、だから本当の感動は記憶の中にしかない。
その記憶もやがて忘れていく。
その前に記録しておきたい、という気持ちはあったのだが、気持ちだけがずっと宙に浮いている状態だった。

今月の頭、祖父母(父方の祖父は無くなっているので、祖父1人と祖母2人)のところに連れて行ったのだけど、曽孫をみた祖父母が心の底から嬉しそうで、ああこの人達が喜ぶように娘のことを随時報告していけたらな、と思った。
きっと喜ぶだろうし、身内とはいえ文章に反応があったら、きっと張り合いがでると思ったのだ。
思ったのだが、書かなかった。

ところが今日、友人とLINEをしていて今年はブログを頑張りたい、というようなことを言ったところ「頑張ろうと思うこと頑張ることと実践することはすべて別物てますからね」と言われた。
そのとおり。実践あるのみ、と思った。
それで、娘の記録とブログの更新を一緒くたにしてしまえば、2つの目標を同時に実践できのではないか、と思い至ったのだ。
なんか書簡体で文章を書くのも楽しそうだし。

ブログを始めた目的とは変わってきているが、ひとまず始めてみたいと思う。

去年の夏の終わりに娘が産まれて生活が一変した。

本を読む時間が減り、文章を書く時間はほとんどなくなった。
頭の中に読みたい本、書きたい文章、観たい映画……が積み重なっていく。
それでも今、幸せだなと思う。
娘が可愛い。
同時にいくばくかの焦燥感がある。
子供を育てた先輩たちが口々に「子供ができたら自分の時間がなくなる」という。
俺はその話を聞きながら、なんとなく自分はそうはならないんじゃないかと思っていた。
いや、「俺は子供を育てながらも本を読み、映画を観て、ものを考え文章を書くだろう」と確信を持っていた。
しかし、ぜんぜんそんなことはなかったのだった。
未来の自分にたいする希望はだいたいあてにならない。
それで、過去の自分がどう思っていたかなんてことはいつの間にか忘れられていくのだ。
娘と一緒にいる幸福も、決して忘れないだろうと思うようなことだからきっと忘れていくのだろう。
本屋がある世界が正しいと思っている。娘に本屋の側で過ごして欲しいと思っている。
そんな本屋を作ろう、という気持ちも、いつの間にかなくなっていくのかもしれない。
ただ、少なくとも今はそう思っているんだ、ということを書いておきたい。
書いていきたい。

例えこの文章を最後にブログが更新されなくなったとしても、少なくとも今はそう思っている。

『早朝始発の殺風景』を読み終える。

平成のエラリークイーンこと青崎有吾の短編集。

日常における些細な違和感を考察して、違和感の正体を解明するいわゆる「日常の謎」をワンシュチュエーションでやる。
すべての作品の主人公が高校生で、視点人物が眼差す人物の知られざる一面と出会うことになる。
どの作品も完成度が高く、読後感がよい。
作者が優しいのだろうなあと思う。

どの作品も良かったが表題作と「三月四日、午後二時半の密室」 が特に好きだった。

『私に付け足されるもの』を読み終える。

長嶋有の女性主人公縛りの短編集。
素晴らしかった。

長嶋作品の魅力は、視点人物の考察にあると思う。
探偵のように、日々の些細な違和を拾い上げていく。
巧みな構成によって、その違和からぼんやりとテーマを浮き上がらせていく。

『潜行するガール』『桃子のワープ』の二編がとりわけよかった。

『濡れた太陽』を読み終える。

五反田団(劇団)の前田司郎による、高校演劇青春小説である。
上巻で2回、下巻で3回ほど泣いた。
泣くだけじゃない、声を上げて笑えるシーンも多い。

自分がなにをしたいのか、どうすればいいか分からない、つまり「ボンクラ」の男子高校生、太陽が主人公。

太陽には面白いものを作れるのではないか、という自信のようなものがある。
そして実際、どうすれば面白くなるのかが、なんとなくわかる。これを才能と呼ぶのだろう。

そんな太陽の周りに集まってくるボンクラな友人達が、次第に高校演劇にのめり込んでいく。
なんとなく楽しくやれればいいと思っていた彼らが「面白いものを作りたい」という気持ちに目覚めていく。
登場人物全員が愛おしい。

群像劇だからしようがないのだけど、スロースターターなのが本当にもったいない。
120ページあたりで太陽たちボンクラチームがなぜかレクリエーションで小芝居をやることになるのだけど、そこからどんどん面白くなっていくので、読んでみたいと思った人はそこまではなんとか読んでみて欲しい。

今、高校演劇やりたい、という気持ちでいっぱいだ。
高校生でないことが悔やまれる。

『異セカイ系』を読み終える。

懐かしいにおいのする新しいメタフィクション。
少し前に読み終えたM君が諸手を挙げて絶賛していた。
俺もかなり面白く読んだが、M君ほど気に入ったわけではない。主人公がヒロインを好きになるのがかなり類型的に描かれていて、それは作品としての効果はあげているが、恋する説得力が弱い。説得力を必要とするタイプの作品でもないが、ヒロインをらもう少し好きなってから展開したら、感想も違った気がする。

『火のないところに煙は』を読み終える。

1話を昨晩読んで怖くなる。妻も実家に帰省していていないので心細く、朝起きて一気に読んだ。
怪談を読むつもりが怪談を読むつもりがミステリーを読んだ読後感。面白く読んだが、個人的にはもう少し実話怪談に寄ったほうが怖かったかもしれない。
狂気の隣人がなにより怖かった。

『れもん、よむもん!』を読み終える。

M君とサウナ(東中野アクア)にいく道すがら貸してもらう。
M君も俺ももうすぐ読み終わるということで、すぐにはサウナに向かわず、アクアの横のコインランドリーで読み終える。

序盤の児童書のところもよかったけれど、高校で本を読む親友と出会ってからが素晴らしい。本を読むこと喜びを友達と分かち合うこと、これに勝るものはない。本が指し示す価値観、倫理観との距離が自分と友人で違うことが分かるのも、とても素晴らしい経験だった。
高校時代、俺はHという友人と本の感想についてよく話していた。今はM君とそんな話をしている。
そういう人と出逢えたのはとても幸せなことだなと思う。心から思う。

サウナの中でM君『火のないところに煙は』をがなかなか面白いというので上がってから読み始める。

Mくんとジュンク堂書店池袋本店へいく。

なんとなく科学系の本を読みたくてぶらぶらする。
科学本コーナーよりも一回の新刊ピックアップコーナーから気になる本を見つけることが多い。
科学本に関しては専門性よりも新規性、リーダビリティ、キャッチーさが欲しいからかもしれない。

Mくんは芦沢央の『火のないところに煙は』を、俺は保坂和志の『ハレルヤ』を読む。

『ハレルヤ』は驚くほど素晴らしい。開始数ページで立ち読みなのに涙腺が緩む。亡くなった猫のことが書いてあるのだけど、本当に誠実に、そして猫のことを最大限想って生きているのが伝わってくる。
実家の犬が死んだとき看取った母親が、ふーっと最後に息を吐いた、と泣きながら伝えてくれたことを何度も思い出した。
最近、死ぬことについて考える。必ずおとずれるのに、死について答えが出ていないのが不思議だ。少なくとも生きることに少しは納得したい。この本にはその答えに近づくヒントがあるような気がした。が、あまりにも動揺してなぜか買うことができない。

『火のないところに煙は』『知ってるつもり 無知の科学』『火星の人類学者』『サピエンス全史』を買う。

電車の中でM君が買った『レモン読むもん!』を読ませてもらう。